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勇気を出すこと


TEDトーク「ヴァルネラビリティ(vulnerability)」で有名なブレーネ・ブラウンの新しいトークがアメリカ版Netflixにアップされていたので、早速視聴しました。ブレネー・ブラウンについては、以前にこのエントリーで書かせていただいています。こちらから。

前回のエントリーと内容が被ってしまうかもれませんが、自分的には改めて勇気をもらえるメッセージがたくさんありましたので、もう一度書いておきたいと思います。

ヴァルネラビリティ(vulnerability)という言葉、日本人にはまだまだ新しい言葉ですが、英語では、攻撃されやすさ、脆弱性、傷つきやすさ、などを意味しています。人は勇気を出して何かを行う時、ヴァルネラビリティ(vulnerability)にさらされます。誰かに批判される可能性と、それによって自分が恥をかく可能性、そして心が傷ついてしまう可能性です。

私たちは勇気を出して何かを行うと決めるとき、それが、結果の分からないことである場合はとくに精神的な葛藤を経験します。失敗したらどうしよう。バカにされたら?完璧な条件が整うまで待つべきじゃないかしら?だって大恥をかくかも。恥ずかしい思いをするくらいならやらないほうがマシかもしれない。

この精神的な葛藤の末、結局はトライせずに何かを諦めたことがある経験がある人も少なくないのではないでしょうか。どう転ぶのか分からない。結果が見えないことへの不安。人の思考は先が見えないことに対して強く反応するようにできています。そして新たな挑戦をすることによって起こりえるあらゆる危険性をシミュレーションして、私たちに安全な道を歩かせようとします。

けれども、それは動物としてのサバイバル的な本能がもとになって起きていること。もし、自分がやろうとしていることが命の危険を伴うようなことではない場合、思考がはげしく暴走してゆく状態に流されて、せっかくのチャンスを逃してしまうのは残念なことです。

勇気を出すことには、ほぼ必ずと言っていいほどヴァルネラビリティ(vulnerability)の状態がつきものです。なぜなら、私たちは常に周りに批判されたりする可能性を恐れているから。結果として、それがたとえ自分的にはうまく言ったと思っていても、違う意見を持つ人から批判されたり意見されることもあるでしょう。それを全面から受け止めてしまった場合、人の心は傷つき、恥ずかしさを感じて、次に勇気が伴う何かをしなければならない時、以前にもまして恐怖感を感じます。

恥という感覚。これは本当に厄介なものです。私たちの誰もが持っていてそして恐れている「恥じる気持ち」。恥を避けるために、普段から私たちはどれだけたくさんの努力をしていることでしょうか。そして、どれだけの「面白そうなこと」を諦めていることでしょうか。

もっと自分を解放させて、自由にさせてあげることができたら、人生はどんな風に展開していくのだろう?と考えたことはありませんか?

ブレネー・ブラウンは、ヴァルネラビリティ(vulnerability)には、成長のエッセンスが詰まっていて、学び、そして発展の可能性が秘められているのだと話しています。そして、人生は勇気を出した人の勝ちで、結果ではないのだと言います。なぜなら、たとえ結果がどうであってもそれに関係なく、他人を批判したり意見をしたり、相手の恥や罪悪感をかきたてるようなネガティブなコメントをしたりする人は常にいるものだから。でも、その人たちは「勇気の価値」をわかっていない人たちです。リスクをとることの価値をわかっていない、またはその勇気が持てない残念な人たちなのです。なので、そんな人たちの意見に耳をかして、あえて自分を傷つける必要はなく、「勇気の価値」を本当にわかっている人たちの意見のみに耳をかすようにと、話しています。

ヴァルネラビリティ(vulnerability)に対して、もっとコンフォータブルになること。ヴァルネラビリティ(vulnerability)を感じることに対して、恐れるのではなく、「大丈夫なのだ」と思えるようになること。

個人的にもこれは長年のチャレンジです。これまで自分を成長させてくれた価値ある出来事には、おそらく全てにおいてヴァルネラビリティ(vulnerability)を感じる体験が関係していたとわかっていても、やはり結果が分からないことを恐れる気持ち、逃げ出したい気持ち、私なんかができるわけない、というような思いや葛藤は毎回何かあるたびにやってきます。でも、それを乗り越えてなんとか勇気を出せたとき、そこには計り知れない学びと開放感がありました。そして時にはもちろん、周りの意見や評価を気にしすぎて、完璧にできない自分を恥ずかしく思ったり、辛くなることもあります。

でも、「やってみてよかったんだ」と自分で納得できること、結果にとらわれずに挑戦したことを評価すること、そして自分を認めることは、他の誰かがやってくれることではなく、自分自身でのみできることです。誰かに承認をもらえるのを期待するのではなく、自分の人生、自分自身で認めてあげれるような自分でありたいと願います。簡単なことではありませんし、生きている限り続いてゆくテーマだと思うのですが。

そして、恥と向き合うこと。恥を恐れる自分がいることを意識すること。恥という感覚に触れる機会があった瞬間、それを意識して、「これって本当に振り回される価値があることなの?」といちいち自分に問いただしてみることは、恥を恐れる自分に振り回される人生から解放されるはじめの一歩となります。

つい先日、自分の中の恥について思いを巡らせていた際、それが過去、まだ幼かった自分に植え付けられた瞬間の記憶、そしてその記憶の中の母の存在を思い出し、一瞬ですが急に母に対して無性に腹が立ったことがありました。でも、母は両親からその感覚を植え付けられ、そしてその両親はさらにその両親からその感覚を植え付けられ・・・・という風に、恥とは、長い世代にわたって植え付けられてきたとても根深いコンセプトです。

恥を恐れて、本来の自分らしい生き方ができない状態を次の世代に残さないために、今、自分がいる場所でそれをできるだけ広げないようにするというのは重要なことなのではないかと考えています。恥という感覚が襲ってきたときに、「これって本当に振り回される価値があることなの?誰のために??」と自分に問いかけること。まずは、自分が一歩踏み出すことから。

ブレネー・ブラウンの英語版Netflixnのトレーラーはこちらです。

ブレネー・ブラウン博士の著名な書籍 "Darling Greatly"の日本語版「本当の勇気は『弱さ』を認めること」はこちら。

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